取締役は善管注意義務違反の業務執行行為により会社損害が生じた場合には、会社に対する損害賠償責任を負います。もっとも、取締役の業務執行は不確実な状況で迅速な判断を迫られる場面も多いことから、善管注意義務違反がないか否かの判断については、行為当時の状況に照らして、合理的な情報収集、調査や検討等が行われたか、また取締役に要求される能力水準に応じ不合理な判断がなされなかったか否かを基準にすべきであるとされています。このことを経営判断原則と呼んでいます。

また、合理的な情報収集、調査や検討等については、弁護士、公認会計士等の専門家の意見を信頼した場合には、専門家としての能力や資質に特に疑うべきような事情があった場合を除き善管注意義務違反にはならず、また、他の取締役や従業員等からの情報についても特に疑うべき事情がない限りそれを信頼しても善管注意義務違反にはなりません。このことを信頼の原則と呼んでいます。

ここでは、経営判断原則を理由に取締役の責任を否定した東京地裁平成16年7月28日を紹介します。

(1)事案
本件は、株式会社三越(以下「三越」という。)の株主である原告が、三越の取締役又は元取締役である被告らに対し、被告らが株式会社内野屋工務店(以下「内野屋」という。)の代表取締役社長であった内山健治郎(以下「内山」という。)及び株式会社千葉興業銀行(以下「千葉興銀」という。)に対する損害賠償請求をせず、一切の回収行為を行わないことについて、取締役の善管注意義務に違反するとして、商法266条1項5号、267条に基づき、三越への賠償金41億8623万円及び被告らが善管注意義務違反行為を行った日以降の日である平成14年11月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めて株主代表訴訟を提起した事案である。
(2)裁判所の判断
取締役は、会社に対し、「善良ナル管理者ノ注意ヲ以テ」会社の業務を執行すべき義務を負い(商法254条3項、民法644条)、また、「会社ノ為忠実ニ其ノ職務ヲ遂行スル義務」を負うところ(商法254条の3)、上記善管注意義務及び忠実義務の内容として、会社の財産を適切に管理・保全し、このような会社の財産が債権である場合には、適切な方法によりこれを管理し、その回収を図らなければならない義務を負っているというべきである。したがって、会社が特定の債権を有し、ある一定時点においてその全部又は一部の回収が可能であったにもかかわらず、取締役が適切な方法で当該債権の管理・回収を図らずに放置し、かつ、そのことに過失がある場合においては、取締役に善管注意義務違反が認められる余地があるというべきである。
もっとも、債権管理・回収の具体的な方法については、債権の存在の確度、債権行使による回収の確実性、回収可能利益とそのためのコストとのバランス、敗訴した場合の会社の信用毀損のリスク等を考慮した専門的かつ総合的判断が必要となることから、その分析と判断には、取締役に一定の裁量が認められると解するのが相当である。
そして、不法行為に基づく損害賠償債権や取締役の任務懈怠に基づく第三者への損害賠償債権については、一般に裁判外において債務者が債権の存在を認めて任意に弁済を行うということは期待できないため、その管理・回収には特段の事情なき限り訴訟提起を要するところ、取締役が債権の管理・回収の具体的な方法として訴訟提起を行わないと判断した場合に、その判断について取締役の裁量の逸脱があったというためには、取締役が訴訟を提起しないとの判断を行った時点において収集された又は収集可能であった資料に基づき、①当該債権の存在を証明して勝訴し得る高度の蓋然性があったこと、②債務者の財産状況に照らし勝訴した場合の債権回収が確実であったこと、③訴訟追行により回収が期待できる利益がそのために見込まれる諸費用等を上回ることが認められることが必要というべきである。
 これに加えて、取締役の善管注意義務違反に基づき会社に損害が発生したというためには、訴訟提起を行った場合に会社が現実に回収し得た具体的金額の立証も必要である。
(3)本事例に対するあてはめ
以上のとおり、本件収集資料中には、破産宣告前の内野屋の決算において多額の使途不明金等を計上した記載、内野屋が保管していたゴルフ場用地買収に係る契約書とレオに提出された同一物件の契約書との間の多数の代金額等の不一致、曽我メモにおける内山に対する多額の仮払金を示す記載などが存在し、なるほど、これらの記載は、原告の主張に係る内山の本件違法行為の存在を一定程度疑わせるものということができる。
しかしながら、他方、①破産宣告前の内野屋の決算における多額の開発事業未収入金の計上については、具体的な使途は全く不明であって、本件収集資料中にはこれを明らかにする資料は見あたらないこと、②破産宣告前の内野屋の決算における内山への多額の仮払金の計上については、前記前提となる事実(3)イのとおり、段ボール箱25箱分に及ぶ元帳・伝票ファイル等財務関係書類に基づき、内野屋の破産宣告直後から平成14年1月まで3年余りにわたり、破産管財人による調査及び千葉県警において公認会計士の資格を有する警部補を長とするチームによる捜査が行われたにもかかわらず、結局本件使途不明金の資金の流れを解明するに至っておらず、他に本件収集資料中には、仮払金を内山が自己のために費消したのか、あるいは何らかの形で本件ゴルフ場計画のために使用したのか明らかにするに足りる資料はないこと、③内野屋とレオが保管していた売買契約書間の契約金額の記載の不一致についても、売主との間で契約内容が変更されたことに基づく可能性も否定できず、本件収集資料中にはこのような不一致が内野屋による裏金作りの結果であると断ずるに足りる資料はないこと、④内山に対する多額の仮払金を記載した曽我メモのうち既往先行収益計上分又は開発事業未収入金として記載されている59億9200万9347円については、第51期から第54期までの決算への計上金額と同額を記載したにすぎず、①と同様の問題があること、⑤曽我メモのうち内山への仮払金として記載されている12億0438万8000円についても、第52期決算への計上金額と同額を記載したにすぎず、②と同様の問題があることを指摘することができ、これらの各事実に照らせば、本件収集資料中の前記の各記載をもって、内山の本件違法行為を立証するに足りるものということはできない。したがって、本件基準時において、内山の本件違法行為を前提とする本件損害賠償請求権1の存在を証明できる高度の蓋然性があったとは認めることはできない。
原告は、秋葉が内野屋の取締役として内山の本件違法行為を防止すべき義務を負っているにもかかわらず、これを故意又は過失により放置するという不法行為を行ったから、その使用者である千葉興銀は三越に対する損害賠償責任を負うと主張するが、前記2で判示したとおり、本件基準時において、内山の本件違法行為の存在を証明できる高度の蓋然性があったと認められない以上、これを前提とした秋葉の不法行為についても証明できる高度の蓋然性があったと認めることはできない。念のため、原告が、内山の不法行為を前提とせずに、秋葉が三越の負担の下で千葉興銀の債権回収を図ったという不法行為をも主張するものであると善解して検討すると、千葉興銀は内野屋のいわゆるメインバンクであって、内野屋の経営状態が悪化する中で、平成5年2月から平成7年5月まで松丸を、同月から平成10年5月まで秋葉を内野屋の常務取締役として出向派遣していたこと、本件分割計画は、平成8年3月ころ千葉興銀本店会議室で協議されたことは、前記前提となる事実(2)ウのとおりであり、証拠(甲10の2、甲16、甲58ないし甲61、甲63)によれば、千葉興銀が破産宣告に至るまで内野屋の経営状況の把握に努めていたこと、内野屋の破産手続における千葉興銀の債権届出書では千葉興銀が平成9年から平成10年6月までの間に10億円を超える回収を行った計算となることが認められ、これらは一応原告の主張に沿うものということができる。しかしながら、同時に上記債権届出書では千葉興銀は平成9年に内野屋に対し合計約139億円余りの貸付けを行った計算となることも合わせ考えれば、上記10億円余りの回収が三越の出捐に基づいてなされたと即断することはできず、これらの事実から直ちに原告の主張に係る秋葉の不法行為を推認することができるとはいえないし、その他本件収集資料を精査しても、秋葉の不法行為の存在を証明できる高度の蓋然性を認めることはできない。以上によれば、本件基準時において、本件損害賠償請求権2の存在を証明して勝訴し得る高度の蓋然性があったと認めることはできず、被告らが本件損害賠償請求権2について千葉興銀に対する訴訟を提起しないとした判断について善管注意義務違反があったということはできない。