1 賃金とは

使用者が労働者に対して支払う労働の対償である賃金は、労働者の経済生活を確保するために重要なものです。そのため、賃金を支払う場面では、使用者が遵守すべき原則が多くあります。

賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいいます(労働基準法第11条)。 

2 賃金の法的性格

賃金は「労働の対償」であり(労働基準法第11条)、民法上でも「労働に従事すること」に対する「報酬」とされ(民法第623条)ています。つまり、賃金は、労働に対する経済的意義を有した対価であるといえます。

3 賃金の支払方法

労働基準法は、労働者の生活の糧である賃金が全額確実に労働者に支給されるように、賃金の支払い方法に関して、使用者は、通貨で、労働者に直接、その全額を支払わなければならず(労働基準法第24条第1項)、また、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない(同条第2項)と定めています。

(1)通貨払いの原則

 (ア)意義

賃金は、通貨で支払わなければなりません。通貨とは、日本で通用する貨幣をいいます。例えば、賞与の支給にあたってその一部を自社の株式で支給することは、通貨払いの原則に違反し、無効となります(ジャード事件・東京地判昭和53年2月23日)。

 (イ)例外

通貨払いの原則には、以下の例外があります。

法令もしくは労働協約に別段の定めがあるときまたは命令に定める場合等(労働基準法第24条第1項ただし書)

法令もしくは労働協約に別段の定めがあるときまたは命令に定める場合には、小切手、通勤定期券、住宅供与の方法により、賃金の全部または一部を支払うことができます。労働協約でその評価額を定めておく必要があります(労働基準法第12条第5項、労働基準法施行規則第2条)。

労働協約は労働組合法上のものをいい、労働者の過半数を代表とする者との協定は含まれません(昭和23年6月16日収監733号)。そして、対象者も労働協約の適用を受け得る労働者に限られます。

賃金の口座振込制

労働者の同意があり、労働者が特定する銀行その他の金融機関に対する当該労働者の預金または貯金の口座に振り込まれ、振り込まれた賃金の全額が、所定の賃金支払日に引き出し得る状況にある場合には、賃金の口座振込みが許されます(労働基準法施行規則第7条の2第1項)。

小切手による退職金払い

退職金に限っては、労働者の同意がある場合には、銀行振出小切手、銀行支払保証小切手、郵便為替による支払いが認められます(労働基準法施行規則第7条の2第2項)。

 (2)直接払いの原則

 (ア)意義、効力

賃金は、労働者に直接支払わなければなりません。これは、第三者が介入することによる不当な搾取を防いで、労働者の生活を確保するためです。したがって、労働者の親権者など法定代理人や委任を受けた任意代理人に対しても、支払いは禁止されます。ただし、労働者の意思に従うだけの「使者」に支払うことは、認められています。

賃金債権の譲渡は有効ですが、譲受人に対して支払うと、直接払いの原則に違反し、違法かつ無効となります。したがって、たとえ譲渡人が賃金債権譲渡についての証書を有していたとしても、使用者は譲受人に対して支払う義務はありません(小倉電報電話局事件・最3小判昭和43年3月12日)。

 (イ)例外

賃金債権が、民事執行法の規定に基づいて差し押さえられたときには、使用者が賃金を差押債権者に支払っても直接払いの原則に違反することにはなりません。しかし、労働者の生活を保護するため、原則として賃金の4分の3に相当する部分については、差押えが禁止されています(民事執行法第152条)。

 (ウ)判例

小倉電報電話局事件(最3小判昭和43年3月12日)

【事案の概要】AはXに対する暴行の賠償のため、AがY公社を退職する際に支払われる退職金の債権を昭和37年4月7日に、弁護士Bに譲渡し、Bはこれを同年8月15日にXに譲渡した。Y公社はAから債権譲渡通知を受けていたが、その後、Aはこの債権譲渡は強迫に基づくとして取消す旨、Y公社に対して通知していた。そのため、AがY公社を退職した同年5月19日に、Y会社は、Xに対して退職金を支払った。そこで、Xは、Y公社に対し、譲り受けた退職金債権の支払いを求めた。

【判旨】最高裁は、賃金債権の譲渡がされた場合であっても、使用者は直接労働者に対して賃金を支払わなければならないとした。

「労働基準法24条1項が『賃金は直接労働者に支払われなければならない。』旨を定めて、使用者たる賃金支払義務者に対し罰則をもってその履行を強制している趣旨に徴すれば、労働者が賃金の支払を受ける前に賃金債権を他に譲渡した場合においても、その支払についてはなお同条が適用され、使用者は直接労働者に対してその支払を求めることは許されないものと解するのが相当である。」

(3)全額払いの原則

 (ア)意義、効力

使用者は、労働者がその支払時期において権利を有する賃金の全額を支払わなければなりません。

使用者が労働者に対して金銭債権を有する場合に、労働者の賃金請求権と相殺することも全額払いの原則に反することになり、認められません。たとえ使用者が労働者に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を有する場合であっても、これをもって賃金と相殺することはできません(日本勧業経済会事件・最大判昭和36年5月31日)。

これに対して、労働者の方から、使用者に対して負っている金銭債務を賃金請求権と相殺する場合には、それが労働者の自由な意思に基づくことが明確であれば全額払いの原則の趣旨に反するとはいえないとされています(シンガー・ソーイング・メシーン事件・最2小判昭和48年1月19日)。さらに、使用者が労働者の同意を得てなす相殺についても、その同意が自由な意思によると認められる合理的な理由が客観的に存在すれば、全額払いの原則に反しないとされています(日新製鋼事件・最2小判平成2年11月26日)。

また、使用者が、過払い賃金を、翌月以降の賃金から控除するという「調整的相殺」は、過払いのあった時期と相殺のなされた時期とが近接しており、相殺の額や方法が労働者の経済生活を脅かすおそれがなければ、認められるとされています(福島県教職員事件・最1小判昭和44年12月18日)。

 (イ)例外

全額払いの原則には、以下の例外が認められています。

法令の定めにより控除する場合

所得税法(第183条)に基づく源泉徴収、各法に基づく公的保険料の控除(健康保険法第167条など)のように法令の定めによる控除をなす場合には、全額払いの原則には反しません。

使用者が過半数組合または過半数代表者との間で協定を結んだ場合

使用者が過半数組合または過半数代表者との間で協定を結んだ場合も、全額払いの原則には反しません。例えば、社宅や寮の賃料、休職の自己負担分、団体生命保険の掛金の支払いなどを賃金から控除する場合が考えられます。

 (ウ)判例

シンガー・ソーイング・メシーン事件(最2小判昭和48年1月19日)

【事案の概要】Xは、Y会社を退職する際、「XはY会社に対し、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する」旨の記載のある書面に署名をしてY会社に差し入れた。これは、Y会社は、Xが退職後直ちにY会社の一部門と競争関係にある他の会社に就職する予定であること、また、Xの在職中におけるXとその部下の旅費等経費の使用につき不正が疑われていたので、この疑惑にかかる損害の一部を補填する目的から、Xに対し前記の書面に署名を求め、Xがこの書面に署名したというものであった。

当該書面に基づいてY会社が退職金を支払わなかったので、Xは、就業規則所定の退職金の支払いを求めた。

【判旨】最高裁は、労働者が退職に際し、自ら退職金債権を放棄する旨の意思表示をし、かつ、それが労働者の自由な意思に基づくものであることが明確な場合には、使用者が退職金を支払わなくても全額払いの原則に反しないとした。そして、Xによる放棄は自由な意思に基づくものであるとして、意思表示の効力を認めた。

「全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものというべきであるから、本件のように、労働者たるXが退職に際しみずから賃金に該当する本件退職金を放棄する旨の意思表示をした場合に、全額払の原則が意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできない」「もっとも、右全額払の原則の趣旨とするところなどに鑑みれば、右意思表示の効力を肯定するには、それがXの自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないと解すべきであるが」、本件では、「右意思表示がXの自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在していたものということができるから、右意思表示の効力はこれを肯定して差し支えない」

日新製鋼事件(最2小判平成2年11月26日)

【事案の概要】Aは、Y会社に在職中、住宅資金として、Y会社、B銀行、C労働金庫から借入れをした。B銀行とC労働金庫への返済は、Y会社が行い、Y会社への返済は、Aの退職金等から返済することになっていた。その後、Aは、破産宣告を受けた。Y会社は、Aの依頼もあったことから、事前の取決めの通り、退職金等からAの借入金の返済をし、退職金等は、その返済費用を控除した額を支払った。そこで、Aの破産管財人Xは、Y会社による退職金等からの残債務の控除は全額払いの原則に違反して違法であるとして、未払いの退職金の支払いを求めた。

【判旨】最高裁は、労働者の同意による相殺は、労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意した場合には、そういえる合理的理由が客観的に存在するときは適法となるとした。そして、Aに債務があり、相殺に対する同意の意思表示の形成過程に強要にわたる事情がなく、またその債務自体がAに有利な面もあったことから、Aの自由な意思を認める合理的な理由があるとして、Y会社による退職金の未払いは、全額払いの原則に反しないとした。

「賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である。もっとも、右全額払の原則の趣旨にかんがみると、右同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないところである。」「AはYの担当者に対し右各借入金の残債務を退職金等で返済する手続を執ってくれるように自発的に依頼しており、本件委任状の作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全くうかがえず、右各清算処理手続が終了した後においてもY会社の担当者の求めに異議なく応じ、退職金計算書、給与等の領収書に署名押印をしているのであり、また、本件各借入金は、いずれも、借入れの際には抵当権の設定はされず、低利かつ相当長期の分割弁済の約定のもとにAが住宅資金として借り入れたものであり、特に、Y会社借入金及び三和借入金については、従業員の福利厚生の観点から利子の一部をY会社が負担する等の措置が執られるなど、Aの利益になっており、同人においても、右各借入金の性質及び退職するときには退職金等によりその残債務を一括返済する旨の前記各約定を十分認識していたことがうかがえるのであって、右の諸点に照らすと、本件相殺におけるAの同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。」

福島県教職員事件(最1小判昭和44年12月18日)

【事案の概要】Y県の県立高校の教職員であるXらは、昭和33年5月から15日まで、勤務評定反対のために職場離脱行為を行った。Y県は、その時間分について給料の減額及び勤務手当の減額をすべきであったが、昭和33年9月分の給料と後期勤務手当はXらに全額支給してしまった。その後、Y県は、翌年1月に過払い分の返納を求め、それに応じない場合には翌月の給料から減額する旨通知したが、Xらが返納しなかったため、Y県は過払い分を昭和34年2月分と3月分の給料から減額した。そこで、Xらは、この減額措置は、全額払いの原則に反することなどを理由に、減額分の支払を求めた。

【判旨】最高裁は、調整的相殺(過払い賃金を、翌月以降の賃金から控除する)は、行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、全額払いの原則には反しないとして、Xに対する調整的相殺も適法であるとした。

「賃金支払義務においては、一定期間の賃金がその期間の満了前に支払われることとされている場合には、支払日後、期間満了前に減額事由が生じたときまたは、減額事由が賃金の支払日に接着して生じたこと等によるやむを得ない減額不能または計算未了となることがあり、あるいは賃金計算における過誤、違算等により、賃金の過払が生ずることのあることは避けがたいところであり、このような場合、これを清算ないし調整するため、後に支払われるべき賃金から控除できるとすることは、右のような賃金支払事務における実情に徴し合理的理由があるといいうるのみならず、労働者にとっても、このような控除をしても、賃金と関係のない他の債権を自働債権とする相殺の場合とは趣を異にし、実質的にみれば、本来支払わるべき賃金は、その全額の支払を受けた結果となるのである。このような事情と前記24条1項の法意と併せて考えれば、適正な賃金の額を支払うための手段たる相殺は、同項但書によって除外される場合にあたらなくても、その行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、同項の禁止するところではないと解するのが相当である。この見地からすれば、許さるべき相殺は、過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてされ、また、あらかじめ労働者にそのことが予告されるとか、その額が多額にわたらないとか、要は労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない場合でなければならないものと解せられる。」

(4)毎月一回以上一定期日払の原則

賃金は、毎月1回以上、一定期日を定めて支払わなければならなりません。年棒の場合にも、年棒額を分割して毎月1回以上支払わなければなりません(労働基準法第24条第2項)。

ただし、賞与や1か月を超える期間についての精勤手当、勤続手当、奨励加給または能率手当は、1か月を超える期間ごとに支払うことができます(労働基準法第24条第2項、労働基準法施行規則第8条)。

(5)賃金払いのその他の規制

 (ア)非常時払い

使用者は、労働者本人または労働者の収入で暮らす者の出産、疾病、災害、結婚、死亡、やむを得ない事由によって1週間以上にわたり帰郷する場合には、労働者の請求があれば、賃金の支払日前であっても、既往の労働に対する賃金を支払わなければなりません(労働基準法第25条、労働基準法施行規則第9条)。賃金は、非常の場合には、賃金の後払いという原則(民法第624条)の例外を認めるものです。

 (イ)賃金請求権の時効

賃金(退職金を除く)、災害補償その他の請求権の時効は2年間、退職手当の請求権は5年間と定められています(労働基準法第115条)。

4 休業の場合

(1)休業手当の意義

労働基準法は、使用者の責めに帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、平均賃金の60パーセント以上の手当を支払わなければならないとしています(労働基準法第26条)。

「休業」とは、事業場が閉鎖されたために従業員が集団的に就業不能になった場合だけでなく、違法な解雇や休職処分により就業不能となった場合も含まれます。例えば、派遣元事業主は、派遣先が交替を求めたため就労場所を失った派遣労働者に対して、派遣の残余期間について休業手当を支払わなければならないとした裁判例があります(三都企画建設事件・大阪地判平成18年1月6日)。

(2)使用者の責に帰すべき事由

労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」とは、使用者に故意・過失がある場合にとどまらず、より広く「使用者側に起因する経営、管理上の障害を含む」とされています(ノースウエスト航空事件・最2小判昭和62年7月17日)。

天災事変などの不可抗力による場合は、「責めに帰すべき事由」があるとはいえません。不可抗力による場合としては、経営困難による営業廃止(松崎建設事件・東京高判昭和28年3月23日)、停電日(渡部製作所事件・大阪地判昭和28年6月12日)、部分スト(ノースウエスト航空事件)、会社の倒産(東洋ホーム事件・東京地判昭和51年12月14日)、天気予報による工事の中止(最上建設事件・東京地判平成12年2月23日)などがあります。

(3)平均賃金の60%以上の手当

使用者の「責めに帰すべき事由」が、故意または過失である場合には、民法第536条第2項に基づいて、労働者はなお、賃金の100パーセントの支払いを請求することができます(池貝事件・横浜地判平成12年12月14日)。

民法第536条第2項に基づく請求ができる場合であっても、労働者が別の企業で勤務するなどして収入を得たときには、使用者はこれを控除して未払賃金を支払えば足ります(同項後段、損益相殺)。しかし、この場合であっても、労働基準法第26条に基づいて、損益相殺の限度は60パーセントにとどまり、それ以上の減額は許されません(駐留軍山田部隊事件・最2小判昭和37年7月20日)。